猫も杓子も右も左も

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この世界の片隅が超こわい

 

 

幼気な女子高生なので、夏休みはファインディングドリー見に行って号泣しました。

一人で見に行きました。

思い返せば今年の映画はほぼすべて、一人で見に行って一人で号泣しています。

 

この世界の片隅にの予告1分30秒を見て号泣したのが昨日のことです。かねてから話は聞いていたけど、やはり見に行かねば。

 

見に行ったのが今日の話です。

 

結論から言うと涙の一滴も出ませんでした。

 

 

「泣けた」かどうかを評価の基準にしてしるとは思われたくないので言っておきますが、

 

この世界の片隅に」は素晴らしい映画なんだと思います。

 

どこが素晴らしいかとかはまあyahooの映画口コミとだいたい一緒なので省きます。今までの「戦争映画」とは違う~~……とかそこらへんです。やるせなさ云々とかそこらへんです。

 

特に終盤の描写、そのままに言うと、トリハダ立ちました。

左太もも外側から左アバラにかけて、なんどもザワっと、トリハダ、立ってました。(人さらいとワニのとこは首まで立ちました)

 

たしかにわかるんです、トリハダも立つくらいです。だけど、それだけなんです。本当に「素晴らしいと思う」だけなんです。

 

周りの鼻をすする音。隣のお姉さん、まだ30代くらい。嗚咽が漏れてる。

自分はそれを横目に、は、せずに、絶対にスクリーンから目をそらさないでいたけど、周りとはやっぱり同化できませんでした。

何度もトリハダが「ここ、ここ」って教えてくれるのに、自分の頭で全部が言葉にならなくて、すごく怖かったです。

 

ドリー、お母さんが生きててよかったね。会えてよかったね。頑張ってよかったね。

なんだかそういう簡単な共感を、あの映画は、何もくれませんでした。

 

ものすごーーーーーく単純に言えば、

クソしょうもない高校生の自分が生きてる現実と、すずさんが生きている映画の世界があまりにも離れすぎて、カタルシスを一粒も得られなかった。のです。

 

 

悲しい戦争の映画は何本も見ています。悉く泣かされています。

だけど、この映画。「この世界の片隅に」、この映画、戦争のお話なのに、「悲しい」とか「虚しい」とかそういうわかりやすい感情を、わかりやすく与えてくれない。

だからこの映画は評価されてる。

今まで喜んで与えてもらった作品と違うからこそ、この映画が心底素晴らしいと、思う。

思ってる。のに!

 

戦争のやるせなさ?人生のやるせなさ?それでも生きていく、逞しさ?周りの人の泣きどころが全然わからない!別に涙流しに映画館に来てるわけじゃないのに、怖い!自分には全く共感できない!それが虚しい。寂しい。

 

映画館に来て初めて、こんなに孤独になりました。

駄作だなんて思わないです、見に行ってよかった。

なのに、やっぱり、どこでどう感じた?と聞かれたとしても、何も答えが出ないんです。

 

映画館の片隅に、取り残された自分の感覚。おんなじ密度のまま無駄に肥大した頭で漠然と思うことは、

私のこの感覚こそ、周りの嗚咽の一要因なんじゃないかということだけです。

 

あの映画の丁寧な描写を見るたびに、自分が空っぽに思えてしょうがない。

 

あの世界の片隅は、この世界にあるんですか?